昨日まで調理師として立っていた私が、いきなり指定難病「視神経脊髄炎(NMOSD)」になった話【前編】

今回は入院生活の時の話を書いてみようと思います。
まぁ、今更かい!という突っ込みも聞こえてきそうですが。。。w

私の場合、緊急入院だったわけですが。
ちょっと細かく書きますね。

背中の違和感から始まった、突然の異変


調理師なので立ち仕事でした。
少し前から背中に違和感が。
疲れてるんだな。うちに帰ったら嫁さんに
マッサージしてもらおう。
ぐらいにしか思っていませんでした。

今思えばこの時、すでに発病していたんだと思います。

余りに痛いから、皮膚科にいくと
うちではわからないといわれ

整形外科、内科に行ってもわからず。
そして次の日の夜、おしっこしたくても
出ない状態に。

これはまずい。

嫁さんに救急の泌尿器科探してもらい
嫁さん運転ですぐに行きました。

管を入れて尿をだしてもらい、神経外科を勧められました。
もしあそこで、勧められなければと思うとぞっとします。

朝になったらもう一度来てくださいと言われ
次男も付き添ってくれました。
来るときは歩けていたのに、もう肩を借りないと歩けません。
え?え?昨日まで仕事してたんだけど。。。
そんな思いで情けない思いでいっぱいでした。
そして、この時ほど家族のありがたみを
感じた時はありませんでした。
嫁さん、次男、ありがとう。

脳神経外科での検査と、告げられた指定難病「視神経脊髄炎(NMOSD)」

そして、一旦家に戻る車の中で
「そんなことある?」という感覚と
「え?どうなるんだろう?」という言葉が
頭の中、ぐるぐる回っていました。
あの感覚は一生忘れないと思います。

脳神経外科でMRIを撮り
診断結果がまだわからず。

とりあえず私と妻で診察室に呼ばれたのを
覚えています。
画像を見て、先生は重症かもしれないと。

脊髄の中が炎症を起こしているのです。
中々見ないよ、という事でした。
ここでも診断結果でないので
恐らくこの病気ではないかという事で
うちではこれ以上治療できないからと
大きい病院に転院に。

そこでようやく病名が付きました。
視神経脊髄炎 (NMOSD)
聞いたこともない病名でした。
なんと指定難病。
何?指定難病って。

後から聞いた話ですが
嫁はその時絶望した気持だったと。
そりゃそうですよね。昨日まで働いていた
夫がいきなり指定難病。
帰りの車の中で、大泣きしたそうです。
申し訳ねぇ。。。

下半身が動かない絶望と、現場復帰への誓い

病気の内容は
ネットで調べれば出てくると思うので
ここでは割愛します。

そして思った事が
下半身が動かない!!

もしかして
あれ?車いす生活?一生?

と一瞬頭をよぎりましたが
いや、そんなこと言ってられない。
意地でも現場復帰してやる!
と誓いを立てた日でした。

こうして、私の2か月半に及ぶ長い長い入院生活が幕を開けました。

人生初の入院です。
下半身が動かず、リハビリ以外ベッドの上から動けない毎日。
そんな絶望と退屈の中で、私の心を救ってくれた
「あるサービス」のお話を後半で詳しく書きたいと
思います。

おむつ生活、頭の痒み、21時消灯。
孤独な病院の夜にAudible(オーディブル)の
「人の声」が心に染みた話【後編】に続く